LOOSE GAME 03-1


あたしはベッドの上でぼんやりと天井を眺めていた。
ホテル特有の白い天井。
静かな部屋。
自分のモノじゃないベッドにも、もうずいぶん慣れたなぁ。
最初の頃は怖かったのに。
一人でホテルの部屋で眠ることが。

テーブルの上には、昨日の夜中、姫野ちゃんが持ってきてくれた、刷り上ったばかりのスポーツ新聞。
そろそろ、この下世話な紙切れたちも日本中のキオスクやコンビニに並んでる頃。

あたしでも、まだ、1面に載れるくらいは有名だったんだ。

派手な見出しの間に印刷された自分の顔を見て、不思議な気分だった。
もう、嘘の笑顔も、嘘の涙も必要ないから。
写真のあたしは、自分で見ても可愛げがないくらいふてぶてしい顔をしていた。

『モー娘。よっすぃー(18)卒業!!!
一体何があった?あまりにも突然すぎる発表!』

目を閉じると、まだ、記者会見で花火のように焚かれた何100ものフラッシュの残像が見える。

何を聞かれても、無表情に「モーニング娘。は大好きです。でも自分の道を進むために卒業します」としか言わなかったあたしのことをよく書いてくれてる新聞はない。批判と邪推のオンパレード。
別に構わない、誰かによく思われたいないなんて思ってない。

他の事は何もいえなかった。
本当のことを言えば、大切な仲間達に迷惑がかかる。
でも、奴らが用意した嘘八百の原稿を読むつもりもなかった。
誰にも嘘をつきたくなかったから、それだけしか言えなかった。

後悔は、してないよ。
ただ、ちょっと、ちょっとだけ疲れちゃっただけ。

**********

きっかけはあの人たちとの出会いだったけど。
歯車が狂いだしたのは。
今思うと、ごっちんの卒業が知らされたあたりだったんだと思う。

あの頃は、そんなことは気づかなかったけど。
あたしの体の中には、自分が気づかないうちに溜まっていった膿のようなものが、もうすでに飽和状態ではけ口を探していたのかもしれない。

あたしたちは大家族みたいに、毎日わいわいがやがや、うまくやってた。
スケジュールは分刻みで、自分が今どこにいるのかさえもわからないほど疲れていても、みんなといるのは楽しかったし。
あたしは自分がモーニング娘。であることを誇りに思ってた。
誰かが欠けるなんて考えてもいなかった。

「私、9月に卒業するんだってぇ」
皆には内緒だからと、こっそりあたしに打ち明けてくれたごっちんは、どこか面白がっているがっているような、それでいて泣き出しそうな、すごく頼りない顔をしていた。
あたしは驚いた。
猫の目みたいにめまぐるしく増えたり減ったりするのがモーニング娘。だって、誰でも知ってることなのに。
その頃のあたしは、そのときのモーニング娘。がずっと続いていくような気がしてたから。それはまさしくセイテンのヘキレキ。うっかり竹やぶの中を覗いたら近所のおばさんがしゃがみ込んで用を足していたのに出くわしたような驚きだった。

「それってごっちんの希望なのっ?」
あたしはごっちんに詰め寄るように聞いた。
「あー、んー。まぁ、確か、娘。に入ったすぐにはソロやりたいって言ってたような気がするけど……。自分でも忘れてたから。びっくりだよー」
ごっちんはへらへらと乾いた声で笑った。
「それじゃあ、卒業なんかしなくても!」
「んー。でも、もう決まったことらしいから。まぁ別にソロも嫌いじゃないし」
そう言って、あたしから視線をはずしたごっちん。
同じ年だけどゲーノーカイの先輩のごっちんが、そのときどんな気持ちだったのか、未だに分からない。
分かるのは、あたし達の手の届かないところで「決まったこと」が「絶対のこと」だと言うことだけ。
ただ、あたし達は馬鹿みたいにへらへらと笑うことしかできなかった。

ごっちんの卒業の話を聞いて。
あたしの足元はぐらぐらした。
丈夫で安全だって信じてた自分の立っていた場所が、実は薄くて危うい薄氷の上だったって気づいたから。

そして、気がついた。
大事な仲間のはずのごっちんが辞めるって聞いて。
ごっちんがいなくなれば自分が歌うチャンスが増えるかもしれないと、喜んでいる自分がいることに。

あたしは、その卑屈で卑怯で、醜い自分に怯えた。
その、もう一人の自分が怖くて。
彼女から逃げるために、食べ続けた。
口に入るものなら何でもよかった。

そして、あたしは豚みたいに、ぶくぶくと太り始めた。

結局あたしは、醜い自分自身に取り込まれるように、外見も醜くなった。
でも、それは当然の報いだと思った。
毎日悪夢に襲われた。
朝起きると、まず吐いた。
苦しかった。
でも、自分が悪い子だから。
それが罰だと思うと、救われた。

今考えたら狂ってたと思う。
でも、誰も、それに気づいてくれなかった。
あたし自身さえ、自分が狂ってるって、気がつかなかった。

**********

外見が変わると。
事務所でも、レコーディングでも、ダンスレッスンでも、あたしは見向きもされなくなった。
あたしの周りの大人達の興味は、あたしの精神状態よりも体重の変化にだけ向けられた。
今まであたしがいた場所にはいつの間にか下の子たちがいた。

それでも続けていられたのは。
メンバーがいたから。
毎日会って、馬鹿話をしてるのが楽しかった。
特に、あたしの腕にまとわりついてくる辻や加護を放っては置けなかった。
一緒にいると、こっちの気持ちを優しくさせてくれる辻と、あたしが側にいてやらないとと思わせる加護。
あの子達とはしゃいでいるのが楽しかった。

そして、コンサート。
ステージの上で、歌って踊っているときだけは全てを忘れられた。
テレビの中では13分の1の自分でも、ステージの上にいるときだけは、あたしだけを見てくれる人がいるって思えばがんばれた。
湧き上がる歓声の中、歌うのが、ただ唯一の気持ちいい場所だった。

あの、苦しかったとき。
汗だくになって、大好きなみんなとがむしゃらに野外ツアーをこなしていくうちに、あたしの精神状態もいくらかマシになった。
ファンの人達の前に出て行けば。
自分の居場所が確認できた。
あたしだって、必要とされてる人間なんだって思えた。
それに、大勢の人の前に立つ、あの奇妙な高揚感はクセになる。
それだけは手放したくなかった。

ユニットの改編があった頃には、あたしはすでに、自分の周りの大人たちに対する不信感でいっぱいだった。
もちろん、本当にあたし達のことを思ってくれてる人たちも中には居たのに。そんなことにも気づかないほど、その頃のあたしは拗ねきっていた。
使い捨てるみたいにユニットから干された、かおりんや矢口さんを見て、ああ、明日はわが身だなぁ、なんて思ってた。
本当は、ごっちんも圭ちゃんもいないプッチモニになんて何の興味もなかった。
でも、記者会見には、ちゃんと「吉澤らしい」原稿が用意されてた。
いつものこと、覚えて、言えばいいだけだ。
そこに自分で考えることなんてひとつもない。

でも、あのときかおりんが言わされた言葉には反吐が出そうだった。
「モーニング娘。は常に変わり続けることで進化しているグループだから。今度のこともパワーに変えてがんばります」

だって、おかしな話じゃない?
変わり続けるって、一体誰のために?
CD一枚買うわけじゃない世間の人?マスコミ?飽きっぽいファン?
少なくとも、あたし達はこれっぽっちも「変化すること」なんで望んでないのに。

ひとつだけ分かっていたことは。
あたしはモーニング娘。だったけど。
モーニング娘。は私たちのモノじゃないってこと。
上から決定を下している、誰かのモノだってこと。

そして、そんな頃。
あの人達に出会った。
思い込みだって分かってるけど。
あたしはそれを「運命」だったと思った。

そう思っていないとやっていけなかった。

**********

あたしは、来る日も来る日もあの人たちの音を聴き続けた。

あたしは、小さな頃から強いものに憧れた。
それは多分、あの、小さかった頃に出会った、太刀打ちできない悲しみのせいだと思う。
あれを知って。
打ちのめされて。
自分の弱さを知ったから。
あたしは強いものに憧れた。
どんなことにもびくともしない強い人間になりたかった。

でも、あたしは、未だに笑っちゃうくらい弱い人間だ。

未だに、あの時のことを思い出すと、息が詰まる。
痛みと不安が一緒に押し寄せてきて、体中が冷たい汗に濡れる。

夜中の薄暗い病院の廊下。
いつもふざけてばかりのお父さんがとても怖い顔をしてた。
引きずられるように手を引かれて。
怖かった。
お父さんじゃないみたいだった。
人気のない廊下を進むお父さんとあたし。
廊下はいつまでも続きそうなくらい長く感じたけど。
子供心にも、その先にあるものが「とっても悲しいこと」であるのに気づいてた。
だからあたしは行きたくなかった。
お父さんはどうしてあたしの手を離してくれないんだろう。

そして、扉を開けた病室には。
ぽつんと置かれたベッドの上に。

「それ」は、顔に白い布を掛けられてた。

すごく怖かった。
お父さんが、ベッドの上の「それ」にすがり付いて大声で泣いた。
あたしは金縛りにあったように、ただ、お父さんとそれを見ていた。

「それ」が、大好きなお母さんだったモノだってことを、私は知っていた。
もう、あたしを抱き上げたり、名前を呼んだりしてくれないことも知っていた。

あたしは幼かったけど、打ちのめされて、悲しみを知った。
だから、次に悲しみにあったとき、負けない人間になりたいと思った。
そのときからあたしは、強いものに憧れるようになった。
可愛らしくあることも、弱さを見せることも嫌った。

悲しみの前では誰だって一人きりだ。
男でも女でも、子供でも大人でも。
助けてくれる人なんていない。
自分の力で戦うしかない。

あたしは弱い自分を嫌い、強いものに憧れた。
そう、彼らの歌のような。

彼らの歌には信念があった。
彼らの言う「ロック」が何なのか、本当はよく分からなかった。
でも、あの人たちは、それを信じて、それのために戦っていると思った。
だからすごく強いと思った。
だって、もう大人なのに。
そんなに純粋に信じるものがあるなんて。

信じられるものが何もなくて、ひとり七転八倒していたあたしにとって。
それは衝撃だった。

そしてあたしは彼らにのめり込み。
ますます扱いにくい子供になっていった。

**********

夏が過ぎて秋になった。
がむしゃらに走り続けた夏のツアーがおわり、娘。からごっちんがいなくなった。

そんな頃、ユニットの編成について梨華ちゃんと話す機会があった。
梨華ちゃんはあたしにこう言った。

「よっすぃー、お互いがんばろうね。私プッチには負けないよ。ユニットにいるときはライバルだからね。これからは私が新しいタンポポを作っていくんだ」

梨華ちゃんは強いと思った。
もうちゃんと前に向かって歩き出してるんだ。
そんな梨華ちゃんに勝てるはずがない。

そして、あたしは梨華ちゃんとの距離を感じた。

梨華ちゃんは間違っていない。
それが、多分正しい考え方なんだ。
梨華ちゃんは、本気でそう思って、努力して、がんばってる。
一歩も先に踏み出せないあたしに、梨華ちゃんを責める権利なんてない。

でも、あたしには、梨華ちゃんの言うことがきれいごとにしか感じられなかった。
事務所に用意された「コメント用の原稿」みたいに感じた。

相変わらずあたしには「変わること」の意義がわからなかった。
それはそんなに必要なことなの?
ゲームの駒を動かすみたいに、あっちへこっちへ首を挿げ替えて、それが変わること?
誰かにちゃんと説明して欲しかった。
あたし達はただの駒のひとつじゃないと。

でも、その時のあたしにはそれを声にする勇気はなかった。
腹の中でどろどろと不満を抱え込んでいるだけだった。
結局、そんなあたしが一番弱虫の卑怯者なんだろう。

そして、事件は起きた。

新しいタンポポのシングルが出て。
こんどはプッチの番だった。

全てを納得していたわけじゃないけど。
単純に新しい曲が出るのは嬉しかったし、リーダーだって言われて、それなりに気合も入ってた。
もちろん小川もアヤカちゃんも大好きだったから、3人でがんばっていかなくちゃならないって気持ちもあった。

その、プッチの新曲のレコーディングの日。
珍しく前日のうちに曲と詞を貰ってたから。
あたしはちゃんと家で曲も詞も入れてきてた。
準備はばっちりだった。
その曲は、元気がよくてアップテンポの、どちらかといえばあたしの得意なタイプの曲だった。

今思うと、そのころのあたしは口に出しこそしてなかったけど、周りの大人たちにとっては充分反抗的で、危険分子のように見られていたんだと思う。

つんくさんに会うのは久しぶりだった。
つんくさんは忙しい人で、最近はレコーディングぐらいでしか顔を合わすことはなかったけど、会えばいつも相談に乗ってくれたりして、あたし達のお父さんみたいな存在だった。
いつも優しかったし、つんくさんだけはあたし達のこと本当にちゃんと考えてくれてるって信じてた。
事務所の人たちみたいにあたし達に対して高圧的な態度をとることもなかった。

そして、レコーディングが始まった。
あたしの番になって、ブースに入る。
レコーディングの時点では、どのパートが使われるかわからないからフルで歌う。

あたしが1度フルで歌った後。
つんくさんがブースの中に入ってきた。

「吉澤、ちょっと、歌い方変わったか?」

そんなつもりは無かった。
いつもどおりに歌ったつもりだった。

「なんかなぁ……。変なクセがついとるカンジやなぁ」

つんくさんはあたしの顔をじっと見た。
あたしはその時初めて、何だかつんくさんの目がビー玉みたいだと感じた。
こっちを見てても、あたしを見てない目。

「吉澤、最近ロックにはまっとるんやって?何聞いとるんや?」
「あー、えっとぉ、MODSとかー」
「モッズかぁ、また渋い趣味やなー。そんなにカッコええか?」
「はいっ、もう、すっげー好きでー」

つんくさんなら分かってくれると思った。

「吉澤ぁ。俺はなぁ、そーゆーの聞く女の子はあんまり好きやないなぁ」

どういう意味か分からなかった。
あたしが聞き間違えたのかの思った。
聞き返そうと思ったときには、つんくさんはもうブースの外へ出て行ってしまっていた。

つんくさんなら分かってくれると思ってた。

トークバックでもう一度歌えと言う指示が出て。
あたしは結局ワケがわからないまま、そのままレコーディングを続けた。
2,3回通して歌って、結局つんくさんから指示らしい指示も受けないうちにOKが出て、レコーディングが終った。
そんなことは今までなかった。
変な、落ち着かない気持ちだった。

どうしてこんなに早く終わるの?
あたしがつんくさんを怒らせたの?
何がいけなかったの?
さっきつんくさんが言ったのはどういうこと?
それとも、何でもないことなの?

でも、それから忙しいつんくさんと話をするチャンスはなくて。
あたしは不安な気持ちのまま、スタジオを後にした。

そして、その日レコーディングした曲がリリースされることは、なかった。

奴らのやり方は、あたしを、これ以上は無いってくらい効果的に打ちのめした。

**********

新曲が発売延期になったのを聞いたのは、小川と二人でだった。

延期になったのはショックだったけど、あたしはそれより小川のほうが心配になった。
いつまでも「新メン」「5期メン」とひとくくりにされていた彼女達。
その中でも小川は一番目立たなかった。

歌が上手く、可愛らしい容姿ですでに前に出始めた高橋。
圧倒的なキャラクターで注目される紺野。
最年少で元気いっぱいの新垣。
誰よりも明るくて素直な小川が注目される機会は少なく、それでも彼女はいつもがんばっていた。

出遅れてしまった小川と、デビュー当時の自分を重ねていたのかもしれない。
あたしも最初の1年は、どうしたら本当の自分が出せるのかわからなくて悩んでた。同期の3人に置いて行かれる様な気がして焦ってた。
そんなときあたしはプッチのおかげで救われた。
ごっちんと圭ちゃんとの結束が出来たのももちろんだけど。
モーニング娘。の新メンバーとしては4分の1だったけど、プッチモニの新メンバーは1分の1。
プッチの中では、あたしはあたし一人しかいないっていう自信が生まれた。

小川も同じだと思った。
自分ひとりがプッチに選ばれたという自信とプライド。
小川もプッチに救われるはずだったのに。

あたしは、その話を聞いたとき、思わず小川の顔を見た。
素直な小川は。
今にも泣き出しそうだった。

発売延期の理由は。
「まだ、ちょっと、早い」
そんなの理由にもクソにもなりゃしねぇよ。

そしてあたしはアヤカちゃんのことも思った。
誰よりも、今回のプッチ入りを喜んだのはアヤカちゃんのはずだった。
ココナッツが二人っきりになってしまって、もうずっとまともなシングルは出ていなかった。
シャッフルユニットやハワイアン、童謡みたいな隙間家具的な使われ方で、自分だけの歌を歌う機会すら、ずっとなかった。
アヤカちゃんは大人だから。
そんな不満をあたしに漏らすようなことはしなかったけど。
そんなの絶対につらかったはずだ。
娘。のコンサのゲストでも、ハロプロのコンサでも、自分たちの歌がないなんて。

二十歳を超えると、使い捨てるみたいに端っこに追いやる今の事務所で、アヤカちゃんにとって、今回のプッチ入りは最後のチャンスだったはずだった。

あたしは食い下がった。
発売延期のちゃんとした理由を聞かなければ納得できなかった。
レコーディングまでして、どうして発売できないのか。
あたしは、仕事が終わってから、一人で事務所にチーフマネージャーの山田さんに会いに行った。
そんな行動に出るのは初めてだった。

山田さんはあたしにこう言った。

「ちょうどよかった、俺もお前にちゃんと話さないとと思ってたんだよ。今回のことはな、お前のビジュアル待ちだよ、吉澤。タンポポの売り上げがアレだろ?プッチがこけるワケにはいかないしな。大体後藤が抜けて、お前と小川とアヤカではどうしても弱いんだよなぁ。せめてお前がもうちょっと戻してくれないとなぁ。でも、アレだろ?お前、最近やる気ないんだろ?そういう報告もちゃんと上がってるしなぁ。プッチがこの先どうなるかは俺にもわからねぇよ。まぁ、曲出して欲しかったら、もうちょっとお前もやる気を見せることだな。こっちも遊びでやってんじゃないんだからさ。お前だって、小川やアヤカに悪いって思ってんだろ?プロなんだからきちっとやれよ」

あたしは泣いた。

あたしの体重が変わったら、なにが変わるっていうの?
あたしが1キロ減ればCDの売り上げがかわるの?
それじゃあ、あたしの中身はどうすればいいの?
今、ここで、泣いたり笑ったりしている、あたし自身は、誰も必要とはしてくれないの?

ずっと、あたし達はゲームの駒じゃないって、誰かに言って欲しかった。
だけど、誰もそんなことは言ってくれない。
だって、事実、あたし達は駒だったんだもん。

でも、誰かがわかってくれるはずだと思った。
あたしは人形じゃない。
ここで、生きている、生身の人間なんだって。

全ての決定を変えさせる力があるのはつんくさんしかいなかった。
あたしは、最後の望みを託して、つんくさんに携帯でメールを送った。

『助けてください。
あたしたちはゲームの駒じゃない。
あたし自身を見てください』

メールの返事はすぐに帰ってきた。

『誰も吉澤達のこと、ゲームの駒やなんて思ってないぞぉー(^_^;)。まぁ、大人には大人の事情もあるし、いろいろ大変なんやー(T_T)。今回のことはつらいかもしれへんけど元気出せー。せやけど、吉澤も最近素直さが足りやんのと違うか?吉澤が本当は素直で優しい女の子やって知っとるゾ!ガンバレ\(^o^)/』

つんくさんのビー玉みたいな薄気味悪い目が、頭に浮かんだ。
胃の中身がせり上がってくるのを感じた。
あたしは携帯を握ったままトイレに駆け込んで、胃の中のものを全部吐いた。
吐いたせいなのか、それとも悲しいからなのか。
涙がだばだばと流れた。

意味のないメール。
意味のない答え。

どうして、あたしは今まで、つんくさんがあたし達のこと真剣に思ってくれてるなんて思ったんだろう。
壁にぶち当たったとき、つんくさんに相談しては、その嘘ときれいごとだらけの答えに満足してたんだろう。
何で今まで気づかなかった?

あたしは、携帯を壁に投げつけた。
やっと全部の仕組みがわかった。

あたしが今まで、この反吐が出るような汚いゲームの中で踊らされていたことが。

「吉澤ぁ。俺はなぁ、そーゆーの聞く女の子はあんまり好きやないなぁ」

レコーディングの時に言われた、つんくさんの言葉がはっきり頭の中に蘇った。
そうか、そういうことだったんだ。
あたしは、アイツの好みから外れたんだ。

最初から、シングルを出す気なんかなかったんだ。
今回のことは、反抗的なあたしに対する見せしめ、お仕置き。
本当のことを言うあたしなんてこれっぽっちも必要なかったんだ。
奴らが必要なのは、アイツが言ったように、従順な「素直で優しい」女の子だけ。
あたしの意見なんて誰も聞いちゃいなかった。

アイツは自分のいうことを聞いてくれる「素直で優しい」女の子の集団を、自分の周りに置いておきたかっただけなんだ。
そして、その女の子の集団に信用されて愛される父親のような自分が大好きなだけなんだったんだ。

すべてを仕組んで罠にかけようとしていたのは、アイツだったと知った。

そう、モーニング娘。というグループを作ったのはアイツだ。
そういう意味では、アイツのモノなのかもしれない。
だけど、中にいるのは、傷つけば血を流し涙を流す、生身の人間のあたし達だ。

アイツは本当に「モーニング娘。」を愛していた。
ただ、アイツが愛しているのは、自分の思い通りになる「モーニング娘。」という可愛らしい女の子の集団であって、その中にいるあたし達のことなんてケツの毛ほども思っちゃいなかった。

清廉潔癖、清く正しく美しいモーニング娘。の中で、ロックに傾倒して、反抗的な態度をとるあたしなんて、ただの邪魔者、腐ったリンゴ。
他の皆に感染する前に排除か矯正する必要のあるウィルスみたいなモノだったんだ。

一晩中泣いた。
自分のせいで、しなくてもいいつらい思いをさせられた小川とアヤカちゃんを思って。
あたしを思い通りに操るために「プッチモニ」という人質をとった奴らの汚らしさに。

そして、それを知ってもどうすることもできない自分の無力さに。

**********

そして、あたしが手に入れた生きるための技術は「薄ら笑い」だった。
あたしは闘う前に闘うことを諦めた。
誰かが傷つくもの、自分が傷つくのももう沢山だった。

毎日へらへら笑って過ごした。
誰かに反抗することも、努力することも止めた。
難しいことも考えない。
娘。の中でそれなりに楽しくやっていられればいいと思ってた。
辻や加護や、中学生チームとふざけて遊ぶ毎日。
努力家の梨華ちゃんや、年上チームの人たちとは距離を置いた。
こんないい加減な気持ちでやってるってばれるのが怖かったから。

それでも。
仕事が終わって疲れきって帰ると、ベッドの中であの人達の歌を聞いた。
それが唯一の慰めだった。

それでも。
自分をだましてまで娘。にいたかったのは。
たとえ細切れのワンフレーズでも歌うことが出来たから。
そして、そこにしかあたしの居場所がなかったから。

お母さんが死んで、幼いあたしとお父さんは、しばらく灯の消えたような家で生活してた。
昼間はおばあちゃんがあたしの面倒を見に来てくれてたけど。
あたしは夜が来るのが怖かった。
肩を落として喋らないお父さんと二人の夜。
お父さんは自分の寂しさと戦うのに必死で、あたしのことまで手が回らなかった。
それを責めるつもりはない。
でも、あたしもお父さんも、一緒にいたけど、孤独だった。

そんな月日がしばらく続いた後、新しいお母さんがやってきた。
太陽みたいに陽気で、元気で、そして、優しい人。
あたしは、うれしかった。
「死」という悲しみにとりつかれたあたし達を助けてくれる人だと思った。

お母さんにつられるように、あたしもお父さんも明るさを取り戻していった。
お母さんは、あたしにもお父さんにももったいないような人だった。
いつもあたしのことを一番に考えて、優しく、そしてときには厳しく、申し分のない母親になってくれた。
何よりも、あたしのことをすごくすごく愛してくれた。

あたしはお母さんのことが大好きだった。
ううん、いまでも大好き。
でも、だからこそ。

弟達が生まれて、我が家は一気に賑やかになった。
あたしは子分が出来たみたいですっごく嬉しかった。
弟達が生まれても、お母さんはあたしのことも、当たり前のように愛してくれた。

でも、あのときから。

あたしが10歳くらいのときだった。
いつもと同じように弟達とふざけて暴れてて、あたし達は階段から転げ落ちた。
その音を聞きつけて、お母さんが飛んできた。
あたしも弟も驚いて火がついたように泣いてた。

その時、お母さんは。
自分の実の子供の弟よりも、あたしの方を先に抱き上げた。

あたしは驚いた。
お母さんのことは大好きだったけど。
子供心にも、お母さんは、弟たちのお母さんで。
あたしには「お母さん役」をしてくれてるんだと、嫌味じゃなく、そう思ってたから。
なのに、お母さんは、怪我したかもしれない自分の子供よりも、あたしのことを先に心配してくれた。

その時、本当は躊躇したのかもしれない。
弟の方を抱き上げたかったけど、あたしが傷つくかもしれないと思って、先にあたしの方に来てくれたのかも知れない。
それとも、本当に、自然な行動だったのか。
そんなことあたしには分からない。

でも、あたしは思った。
もし、あたしが居なかったら。
あたしが居なかったら、お母さんは、もっと思う存分弟達に愛を注いでやれるんじゃないかって。
お母さんが幸せになれるんじゃないかって。
自分の子供に何かあったとき、何も考えずに抱き上げられるような生活が、お母さんにとって幸せな生活じゃないのかなって。

だから、そのときから。
あたしは、おかあさんに、邪魔者のいない本当の家庭をプレゼントしてあげたくなったんだ。

お母さんが本当に大好きだったから。

それから、すぐ、自分から希望してバレーボールの少年団チームに入った。
放課後に、少しでも居られる場所があればいいと、子供心に思って。
たまたま性に合ってたのか、バレーボールは楽しかった。
練習すれば、自分がどんどん強くなるのも面白かった。

そして、中学受験。
あたしは当たり前のように、越境してバレーボールの強い学校に入った。
本当は寮に入りたかったけど。
お父さんと、何よりお母さんが反対してくれた。

あたしは家族を愛してた。
だからこそ、本当の家族だけで過ごさせてあげたかった。
だから、このままバレーボールのプロにでもなって、早く自立したいと思ってた。

でも、中学2年になってから、みんなから信頼されてた監督が辞めてしまい、部内の揉め事が多くなって。
空中分解。
チームメイトの半分は、これでは続けられないと転校して。
事実上バレー部は廃部同然になってしまった。
あたしも友達と一緒に転校したかったけど、頑固なお父さんが許してくれなかった。

そして、あたしは自分の居場所がなくなってしまった。
その頃には、すでに殆ど家にいない生活が、家には寝に帰るだけのような生活が板についてしまっていたから。
家に居ても、何だか人の家庭を邪魔してるみたいで居心地が悪かった。
他の、どこか居場所を見つけないと、と思った。

それが、モーニング娘。だった。
まさか合格するとは思ってなかった。
でも、友達がオーデションを受けるって聞いて。
アイドルになれば、お金も稼げるし、家にも居なくて済むし。
何となく楽しそうだし。
そう思って応募した。

そして、気がついたら、モーニング娘。になってた。

実際は、楽しいばっかりじゃなかった。
嫌なこととか、大変なこととかもいっぱいあったし。
でも、いい仲間とも出会えて。
やっぱり毎日新鮮で、楽しかった。
そして、ああ、ここがあたしの居場所なんだって思えた。

別に反抗してじゃない。
家が楽しくなかったわけじゃない。
あたしは家族に愛されてたし。
あたしも家族が大好きだった。
ただ、だからっていつも一緒にいない方がいいこともあるってことを知っていただけ。

だから、あたしは、へらへら笑っていることしか出来なくても。
娘。にしか、自分の居場所がないと思ってたんだ。

**********

闘わないと決めたら。
こんなに楽なことはなかった。

新曲のセンターが誰だあろうと、自分のソロパートがなかろうと、別にどうでもよくなってしまった。
努力して争って、いいポジションを手に入れるより、娘。のみんなとワイワイガヤガヤ楽しくやる方を選ぶようになった。
所詮、求められて居るのは、あたしの「ガワ」だけなんだと知った。
「ガワ」が大切なんだからって、やっと体重も元に戻し始めた。
ある程度まで戻ると、ドラマの話が来た。

あたしは腹の中で笑ってた。
「それがご褒美?」
ツバを吐きかけてやりたいような気持ちだった。

言われたことは何でもやるよ?
それがオシゴト。
清く正しく美しく。

「今度の新曲は元気いっぱいでとっても元気になれる曲です!」
「新メンバー募集?とっても楽しみ!」

クソ食らえ。

あたしは平気で嘘がつける人間になってた。
だれも本当のあたしになんて興味がないんだと思ってた。

12人もいるメンバーの中で、あたしに何が求められてるか分かってたから。
必要以上に男っぽく振舞った。
可愛くあることよりも、面白くて変わり者であるあたしを優先した。
愛すべきメンバー達もそのことを歓迎してると思ってた。

あたしを。
それが嘘のあたしでも本当のあたしでも。
あたしを愛してくれてる人がいっぱいいるんだってことは忘れてしまってた。
それは今になって反省している。
こんなハンパなあたしを、それでも応援してくれた人を裏切ってしまったこと。
その人たちに、結局、ひとつも本当のことが伝えられないままに終わってしまったこと。

でも、あのときのあたしは、卑屈で臆病で。
自分に闘う力があることも知らなかった。
全てを斜めに見て。
あたしを取り巻く人たちを馬鹿にし切ってた。

ああ。
ファンでいてくれた人たちごめんなさい。
一生懸命「娘。」をやってたみんな、ごめんなさい。
そして娘。を愛して支えてくれた人たちごめんなさい。

心の中でどんなに思っても。
結局、何も伝えられずに。
あたしは、今、ここにいた。

ああ。
こんなときでも。

涙の一粒も落とせないあたしでごめんなさい。


つづく


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